カズオ・イシグロ「名翻訳家」の意外な過去。『日の名残り』に出会うまで
文学ではなく、コンピューターマニュアルを訳していた 土屋政雄氏インタビュー①
偶然のフィンランド旅行。『PLAYBOY』からカズオ・イシグロへ
さて、本題である。これまで文学とは遠い位置にいた、土屋さんはどうして、カズオ・イシグロ作品を訳すことになったのか。
「昔の話なので、時系列がごちゃごちゃしている所もありますが、そのうち留学仲間だった人の伝で中央公論社(現中央公論新社)の仕事を受けるようになり、英語論文の翻訳から始まって、一般書もやるようになりました。当時、カズオ・イシグロの初期作品は中央公論社から出ていて、一作目の『女たちの遠い夏』(のちに『遠い山なみの光』と改題)は小野寺健さんが、二作目の『浮世の画家』は飛田茂雄さんが翻訳されました。三作目も、出版社は飛田さんに依頼したらしいんですが、飛田さんの都合が悪くて断られた。で、その作品の翻訳者の席が空いていたんです」
両者の出会いは偶然だった。1989年、土屋さんは知人のパーティーの福引で偶然フィンランド旅行の機会を得る。そのフィンランドで、当時の日本では手に入らなかった無修正の『PLAYBOY』を買い求めようとして…
「最後の瞬間に恥ずかしくなって、思わず、隣に並んでいた『NewsWeek』を買ってしまいました(笑)。何が幸いするかわからないもので、たまたまその号の書評欄に『日の名残り』が載っていたんです。その書評を読んで、私もいつかはこういう本を翻訳してみたいなと思いましたね。ちょうどその頃は『バットマン』のコミック版翻訳の仕事を終えたばかりで、それはそれで面白かったのですが、文学作品もやってみたいなと思っていました。旅行から帰って数日後、ほんとうに中央公論社からオファーの電話があったときは、何か運命的なものを感じましたね」
次回は、土屋さんの翻訳論を伺う。